音楽をとおして心と心でふれあう旅|ジェイク・シマブクロさんインタビュー
ハワイの潮風のように優しい音色を届けてくれるウクレレ奏者、ジェイク・シマブクロ。彼が近年取り組んでいるのが、日本国内の学校を訪問する〈ふれあいの旅プロジェクト〉。肢体不自由児療護施設も訪問し、音楽をとおしてたくさんの子どもたちと交流してきた彼に、そのプロジェクトのエピソードや故郷ホノルルの思い出を語っていただきました。
──子どものころのジェイクさんはどんな子だったんですか?
「ちょっと問題のある子だったかもね(笑)。とにかく元気で、叔母の家に遊びにいくたびにグラスを割って怒られてたよ(笑)。ただ、そのころから音楽は大好きで、ウクレレを弾いている間だけはおとなしくなるような子どもだったみたい。ほかになにもしないで何時間でもウクレレを弾いてた。テレビから流れてくるすばらしい音楽に合わせて延々弾いていたんだ」
──ウクレレを初めて手にしたのは4歳のときだったとか。
「母がウクレレをプレゼントしてくれてね。そのときのことは、いまでも憶えてる。まずはどんなふうに弾くか母が見せてくれたんだけど、そうでもしないと僕がウクレレを壊しちゃうと思ったんだろうね(笑)。最初は母が3つのコードを教えてくれたんだ。あとからわかったんだけど、その3コードはハワイアンでいちばん使われるものだった。で、その3コードを弾いてたら、徐々にウクレレの魅力に取りつかれちゃってね、最初はそのコードをずっと弾いてたな」
──生まれはホノルルですよね?
「そうだよ。僕の家はけっして裕福じゃなかったけど、つねにシンプルな喜びがあったんだ。たとえば海で泳いだり、釣りをしたり、サーフィンやボディボードをやったり。よく家族とバーベキューもしたよ。料理を食べるよりも焚き火をすることに夢中になったり…最高に楽しかったな。子どもにとっては、なによりも外で遊ぶことが重要だと思う。最近の子どもは家のなかでゲームをしたり、EメールのチェックやFacebookばかりに時間を費やしてるけどね(笑)。僕の子どものころとはずいぶん変わってしまったけど、家族から人生のシンプルな楽しみを教えてもらったことには本当に感謝してる。外で遊ぶことで社会性を身につけることにもなるし、コンピュータやテレビからは学べないことが学べるからね」
──ハワイの子どもたちもゲームやコンピュータに夢中なんですか?
「うん。とくにハワイはそんな状況なんじゃないかな(笑)」
──では、ハワイの人たちにとって、親と子どもの関係でもっとも大切にされていることとはなんなのでしょうか?
「僕が思うに、いちばん重要とされているのは、おたがいに敬意をもつこと。それと、親は子どもにとっての教育者でもあるわけだけど、ハワイでは長い歴史をもつ伝統文化やものの考えかたというのがあって、それが親から子どもへと受け継がれているんだ。たとえばスラックキーギターはそういう類のものだし、どうやって社会で生き残っていくか、自分らしくあるためにはどう生きるべきか、そういった根本的なものの考えかたも受け継がれている。あと、重要視されているのは、ひとつひとつの家庭にある家族史のようなものだね。それによって自分がどこから来たのか学べるから。ハワイの人たちは伝統を重要視する傾向があるし、けっして変わってはいけないものがあることも知っている。それはウクレレのありかたとも共通してると思うんだ。楽器によって基礎となるものは違うけれど、共通してるのはその楽器の伝統を知ることだと思う。それこそ演奏者が生まれる前から続く伝統がその楽器ひとつひとつには息づいているわけだから」
──そういうことを両親から学んできたわけですね。
「うん、まさにそうだね」
──では、ジェイクさんが関わっている〈ふれあいの旅プロジェクト〉について話を聞かせてください。このプロジェクトがスタートしたのは08年ですよね?
「そうだね。それまでにも何度か日本の子どもたちとふれあう機会があったんだけど、それがとてもおもしろかったんだ。僕はもともと子どもとふれあうのが大好きで、ハワイでは学校で子どもたちと話したり、演奏を披露してきたからね。それと、音楽は世代を超えて人々をインスパイアすることができるし、僕自身をインスパイアしてくれる。そういうことをハワイの体験ですでに再確認していたんだ。ただ、日本での体験は特別だね。なにせ僕は日本語がしゃべれないし、ほとんどの場面で英語でコミュニケーションを取らないといけない。でも、音楽はアイコンタクトやボディランゲージと同じようなコミュニケーションの手段になるし、育ってきた環境や生い立ちを超えてつなげてくれる力があることを再認識させてくれたんだ。歌を歌ったり、ウクレレで日本の歌を演奏することで、日本の子どもたちとの距離がグッと縮まったんだよ。ウクレレを見たことのない子どもでも『わあ、それ日本の曲でしょ?』なんてリアクションをしてくれるしね。ウクレレで琴のように演奏してみることもあるんだけど、たいていはみんなビックリするんだ。そういうときの子どもたちの表情を見るのが僕は大好きなんだよ」
──どんな曲を演奏するんですか?
「いろいろやってるけど、たとえば『さくらさくら』とか。『雪の華』(中島美嘉)みたいなポップソングも演奏するし、『サボテンの花』(チューリップ)や『見上げてごらん夜の星を』(坂本九)、『ここに幸あり』(大津美子)みたいに古い曲もやるよ」
──子どもたちの前で演奏することによって、あなたも多くのことを学んできたのではありませんか?
「まさにそうだね。僕はいつも子どもたちをインスパイアしたいと思って演奏してるけど、むしろ僕のほうが学ぶことが多いんだよ」
──また、このプロジェクトでは肢体不自由児療護施設も訪問されていますね。
「彼らからはとても学ぶべきことが多いよ。僕はもっと音楽を学ばないといけないし、もっと練習しないといけない。そういうことを教えてくれるんだ。彼らからたくさんのパワーをもらって、とても重な体験になってるよ」
──施設を訪れてみていかがでしたか?
「すばらしかったよ! ものすごく集中して聴いてくれる子もいるし、ジャンプする子もいる。それぞれのやりかたで音楽を感じとってくれるんだ。演奏している間中、手拍子してくれる子もいれば、エキサイトしてくれる子もいる。笑ってる子もいるし、楽しそうにニコニコしてる子もいる。まさに心と心でふれあっているような感覚になる。彼らの表情を見ていると、人生のすばらしさを僕に実感させてくれるんだ」
──日本だと、ハンディキャップをもっている子どもたちと健常者の子どもたちがふれあう機会が少ないんです。ハワイの状況はいかがですか?
「ハワイでは健常者と障害者が同じ社会に生きているという感覚を誰もがもっていて、両者が共存することが社会の発展にも必要なことだと思われている。ただ、日本ではそこが分けられがちだっていう状況も聞いているよ。どちらがベターなのか僕にはわからないけど、僕は共存していったほうがいいと思う。それぞれの子どもにそれぞれのニーズがあるし、それは健常者でも障害者でも変わらない。一般社会のなかで責任感を学ばせたり、彼らのプライバシーを守りながら教育していったり、子どもによって必要性は変わってくるかもしれないね」
──未来を担う子どもたちにどのようなことを伝えていきたいと思いますか?
「僕は、なにかに挑戦しようとしている子どもたちを勇気づけたいと思っているんだ。なかでも、最初の一歩を踏みだすことをためらっている子どもたちを。彼らは自分がなにを成し遂げられるのかわかっていないかもしれないけれど、目標に向かって情熱をもつことはなによりも大切なことだよ。そのことによってハッピーでいられるし、子どものときの僕もそうだったからね」
ジェイク・シマブクロ
ハワイ生まれ。4歳よりウクレレを始め、1998年にピュア・ハートのメンバーとしてデビュー。2002年にソロ活動をスタートし、ミニアルバム『サンデー・モーニング』を発表。同年、単独での東京/大阪公演を成功させる。2006年には、日本映画の各賞を総なめにした『フラガール』の音楽を手がけた。
このインタビューは、『mammoth』 No.22(2011年)に収録されています。 Text: Hajime Oishi Photography: Sencame