花をいけることは花を「生かす」こと|片桐功敦 華道家
華道みささぎ流の家元として、桜を用いた独自のいけばな作品の発表を続ける片桐功敦さん。『mammoth』花特集では片桐さんのインタビューを掲載しています。
「祖父が華道みささぎ流の家元だったので、花はつねに身近にありました。自分の親父が早くに他界して、24歳で祖父から家元を継いだわけだけど、花のいけかたは独学です。人と人とがするように、花と人も声にはならない言葉を使ってコミュニケーションをとっています。だから、いけかたに上手い下手はあるけど、その人しかいけられない作品が生まれます。
父が死んだとき僕は、花の命は短いけれど人間もあまり変わらないなと感じました。いきいきとした花の美しさの裏側には、命の短さやはかなさがあって、花をいけることでその本質を浮き彫りにしていきたいんです。なので、自分のいけばなはすごく暗い。それに花をきれいに飾ることにも興味がないんです。つぼみの状態で花を買ってきて、毎日状態を眺めて「いま」と感じたときにいける。それで写真を撮って、おしまい。「いける」とは「生かす」こと。切り花は死んでいる、正確に言えば死にかけている花。自分のなかに花をとおして見せたい世界があって、その世界のなかで一瞬だけその花を生かす作業が「花をいける」ことです。
僕は子どもを花で装うプロジェクトにも取り組んでいますが、花で飾ると子どもにどこか野性味が出てきて、日本人には見えなくなるんです。いけばなは散りゆく美学なんて考えられがちですが、それは中世に生まれた概念に過ぎない。それ以前は、このプロジェクトのように大らかに花を楽しんでいたのではないかなと思っています。」
片桐功敦 かたぎり・あつのぶ
1973年、大阪府生まれ。花道みささぎ流の家系に育つ。97年に家元を襲名後は後進の指導の傍、桜を用いた独自のいけばな作品の発表を続ける。2011年滋賀県・佐川美術館にて桜の枝3万本をいけた「泉/滝」を発表。
» mammoth no.28 FLOWER